仙台高等裁判所 昭和27年(う)680号 判決 1952年12月25日
控訴人 原審検察官 柏木忠
被告人 英彦こと亀井秀彦 弁護人 小林正一
検察官 山口一夫関与
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役四月及罰金一万円に処する。
右罰金を完納することが出来ないときは金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
但し此判決確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
押収の証第一号麻薬塩酸モルヒネ注射液1cc入四十八アンプル(四箱、但し内二本は鑑定の為破壊)及同第二号麻薬ナルコボンスコポラミン1cc入一アンプル並びに麻薬塩酸モルヒネ注射液1cc入二アンプルは之を没収する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
検察官の控訴趣意竝弁護人小林正一の控訴趣意と其答弁は記録中の夫々の提出にかゝる控訴趣意書及答弁書の通りであるからここに之を引用する。
一、検察官の控訴趣意第一点について。
原判決が原判示第二の被告人の罪となるべき事実の証拠として渡辺圭三、佐竹義央の各司法警察員に対する供述調書と秋葉源弥の司法巡査に対する供述調書(原判決が司法警察員に対する供述調書と摘示したのは誤記である)を他の証拠と共に挙示したこと竝此三通の供述調書は夫々原審で証人として取調を受けた右三名の証言の証明力を争うため刑事訴訟法第三百二十八条に基き検察官から取調請求あり、原審が其趣旨で取調べた証拠である(記録四十八丁裏、八十四丁裏)ことは所論の通りであるから、これら三つの供述調書は罪となるべき事実認定の積極的な証拠としては証拠能力のないものであることはいうまでもない。原判決がこれらの供述調書を判決の証拠として挙示した趣旨は、理解に苦しむところであるが、特段の説明もない原判決においては、之等の証拠の内容の全部又は一部を、原判示事実認定の積極的証拠としたことを表明するものと解するのを相当とする。けだし、刑事訴訟法第三百三十五条において判決に証拠の標目を挙示すべきことを定めているのは、その内容の全部又は一部を判示事実認定の積極的資料としたところの証拠の標目を挙示すべきことを定めているのであつて、之を裏からいえば判決に標目を挙示すべき証拠はその内容の全部又は一部を判示事実認定の積極的証拠として使用したものに止めてよいのであり又判決の証拠説明を証拠の標目の挙示に止めている場合には、その標目を挙示される証拠は、その内容の全部又は一部を判示事実認定の積極的資料に使用したもののみに止めているのが、判決書作成の通例のやり方でもあるからである。従つて、原判決は証拠能力のない証拠を事実認定の資料に供した違法があることは所論の通りである。しかしながら、原判決挙示の証拠をしさいに検討すれば、右三つの供述調書を除外しても、その余の証拠により原判示第二の事実は之を認めるに十分であり、このような場合には、右の違法は判決に影響を及ぼすこと明白とはいい得ないものと解すべきであるから、判決破棄の理由とはならない。論旨は右と異る見解に立つもので採用することを得ない。
二、弁護人の控訴趣意第一について。
原判決は被告人が医師の免許を受けずして渡辺圭三外二名に対し、診断の上注射し、以て医業をしたことを認定した。
その趣旨たるや、被告人は原判示の各患者の病状を診察してその病名及び容体を判定し、その判定に基く治療の方法として薬液の注射をするという一連の行為を、反覆継続の意思を以て実行したものと認め、之を以て医業をしたものと判示しているものであることは明かであつて、医業をしたことの判示として欠くるところなく、又原判決挙示の証拠中前記証拠能力のないものを除いても原判示の事実は十分に之を認め得るところである。論旨は被告人渡辺圭三、佐竹好美、佐竹義央及び秋葉源彌の司法警察職員又は検察官に対する各供述調書中の供述記載は、弁解を聴き入れず、理解せず、被告人に不利益な先入感に基ずく取調に因るもので措信するに足りないと主張するがそのように認めるべき資料はない。又、論旨は原判示の診断は、被告人が鍼灸術の適応症判定のための探索たるに止まり医行為ではないと主張するが、原判決は、この診断と注射とを一連の行為とし、之を包括して医行為を認めているのであつて、その両者を分離してそれぞれが医行為であるとしているのでない。又もとより右診断を以て単に鍼灸術適応症判定のための探索に止まるものと認めているのではなく、しかも記録を精査しても原判決のこれらの点の事実認定に誤りがあるとは認められない。
更に、論旨は被告人が本件注射をしたのは、被告人の鍼灸按摩業に関係なく、特定の患者から、特別の依頼があつたので止むを得ずにしたもので、殊に渡辺圭三及び佐竹義央の場合は同人等が持参した薬液を注射してやつたに過ぎず、被告人の医行為は普遍性も継続性もなく、常業として之をしたものといい得ないと主張するが被告人のその旨の弁疏及び之に照応するが如き原審証人佐竹義央、佐竹好美、渡辺圭三、秋葉源彌の供述は、之を右各証人及び被告人の司法警察職員又は検察官に対する各供述調書及び押収の証第二十二号ノートの記載と対比して到底信用することを得ず却て被告人の司法警察職員に対する第三、四、六回供述調書及び検察官に対する供述調書、証第二十二号のノート、佐竹好美、渡辺圭三の各検察官に対する供述調書を綜合すると、その然らざることが明かである。特にこれらの証拠を綜合すれば、渡辺圭三の場合は被告人が同人の病状を診察して結核のため同人の肺に空洞ができていると判定し、之に対して灸したのであるが、この病気によい薬があると暗に被告人の方から勧めたので注射をすることになつたもので昭和二十六年五月十四日から七月二十四日までに合計六十一回治療を行い、その内注射を行うこと五十五回注射以外の治療代金は一回七十円で合計四千二百七十円、注射の代金は五月中(十一回)は一回四百六十円六月中(二十八回)は一回四百八十円、七月中(十六回)は一回五百円で合計二万六千五百円以上治療代総計三万七百七十円と計上して請求し、之に対し渡辺圭三から同年六月十五日に一万円、同年十一月五日に一万円と計二万円を内金として受領していること、なお、渡辺に対し、右の注射薬はストレプトマイシンであると告げていたことが窺われ、又、佐竹義央の場合にも昭和二十六年五月十六日以降八月中迄の間に合計七十七回注射し、その料金として一回百七十円総計一万三千九十円を計上し、之を義央に対するその他の治療代及び同人の家族に対する治療代金と合算して請求し、同年十一月初旬内金一万五千円を受領していることがそれぞれ明かで、これらによれば、渡辺圭三の場合は、もし、同人が持参した薬液を注射してやつてたに過ぎぬとすれば、その皮下注射料だけで一回四百六十円乃至五百円という法外極りない料金をとつたことになるのであつて到底そのようには認め得ず、その薬液は被告人が提供したものと認めざるを得ないのであるが、それでさえその薬が原判決認定の如くメタボリン又はビタミンBであつたとすれば、これまた法外な代金であることは明かで(さればこそそれはストレプトマイシンではなかつたかとの疑いも濃厚になる。)あり又佐竹義央の場合も、同入が持参した薬液を注射したものとすればその皮下注射料金のみで一回百七十円、仮りにこの百七十円の中には、前記証第二二号のノートの記載から認められる一回七十円という注射以外の治療代金を含んでいたとすれば之を差引いて一回百円となるのであつて、之また法外な料金といわねばならず、いずれの場合でも、その注射薬を被告人が提供したものと解してのみその料金の妥当性を肯定し得るのである。更に、被告人と渡辺圭三又は佐竹義央との間に、右のような注射料とも一回四百六十円乃至五百円又は百円もしくは百七十円という薬品を何十回分に亘つて被告人が立替えてまで注射してやる程の特別な間柄にあつたものと認め得る資料はなく、又、これらの注射代金も被告人の鍼灸按摩者としての治療代と区別なく同一の帳簿に記載経理し、請求し、受領されていたことも明かで以上の各事実は到底所論の事情と相容れないものであることは多言を要しないところである。
以上の外、被告人方の診療室の構造、設備、備附器具薬品等の状況などが医業にふさわしくなかつたとか、原判示三人の外に注射しなかつたとか(この最後の点は松田ミツの司法巡査に対する供述調書及び被告人の司法警察員に対する第四回供述調書に照し、これを肯定し得ない。)ということは、いずれも原判示被告人の所為を医業と認めることの妨げとなるものではない。之を要するに、記録を精査しても原判決の事実認定(但し、渡辺圭三及び佐竹義央に対する各注射の回数の点は除く)には誤りなく、かつ原判決が被告人の行為を医業と認定したことにおいても誤りはない。
三、検察官の控訴趣意第二点竝弁護人の控訴趣意第二について。
夫々の所論に鑑み、記録を精査し、諸般の情状を考量すると、原審の刑は軽きに失する。原判決は此点に於て破棄を免れぬ。検察官の論旨は理由があり、弁護人の論旨は理由がない。
よつて刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十一条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書に従い当裁判所は本件につき更に次の様に判決する。
(事実)
当裁判所の認める被告人の犯罪事実は犯罪一覧表中約三十回とあるのを五十五回と、約十七回とあるのを約七十七回とそれぞれ訂正する外原判決摘示事実と同一であるからこゝに之を引用する。
(証拠)
一、原判示第一の事実に関し。
(イ) 青柳澄作成の鑑定書
(ロ) 司法警察員の捜索差押調書
(ハ) 押収にかゝる塩酸モルヒネ注射液四箱(証第一号)竝塩酸モルヒネ注射液二本及ナルコボン、スコボラミン注射液一本(証第二号)
二、原判示第二の事実に関し。
(イ) 渡辺圭三の検察官に対する供述調書
(ロ) 佐竹好美の検察官に対する供述調書
(ハ) 原審第二回公判調書中証人秋葉源彌の供述記載
(ニ) 押収の証第二十二号ノートの存在及びその記載
三、原判示第一及第二の事実に関する共通の証拠
(イ) 原審第一乃至第四回公判に於ける被告人の供述記載
(ロ) 被告人の検察官に対する供述調書
(ハ) 被告人の司法警察員に対する第一乃至第六回供述調書
(法令の適用)
被告人の原判示第一の所為は麻薬取締法第三条第一項、第五十七条第一項、罰金等臨時法第二条に、原判示第二の所為は医師法第十七条、第三十一条第一項第一号、罰金等臨時措置法第二条に該当し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから前者については所定刑中罰金刑を、後者については所定刑中懲役刑を夫々選び同法第四十八条第一項に従い被告人を懲役四月及罰金一万円に処し、刑法第十八条に基き右罰金を完納することが出来ないときは金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置すべく、同法第二十五条を適用して此判決確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予し、主文第四項掲記の物件は判示第一の罪の組成物件であるから、刑法第十九条第一項第一号第二項によつて之を没収し、刑事訴訟法第百八十一条第一項により訴訟費用(原審における)は之を全部被告人をして負担せしめることとし、主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 鈴木禎次郎 裁判官 高橋雄一 裁判官 佐々木次雄)
検察官の控訴趣意
第一点原判決には訴訟手続に法令の違反があつてその違反が判決に影響を及ぼすこと明らかである。原判決は公訴事実第二事実(医師法違反)有罪認定の証拠として、(ハ)渡辺圭三に対する司法警察員作成の供述調書(ホ)佐竹義央に対する司法警察員作成の供述調書(リ)秋葉源弥に対する司法警察員作成の供述調書の三ツをも挙示している。然し乍ら右供述調書は(ハ)については第三回公判廷(昭和二十七年二月二十五日)(ホ)(リ)については第二回公判廷(昭和二十七年一月十一日)に検察官より何れも刑事訴訟法第三百二十八条に拠り右証人の供述の証明力を争うために提出受理された証拠なのである。従つて謂う迄もなく右証拠は有罪認定の証拠とすることは出来ないものである。
更に刑事訴訟法第三百三十五条に「有罪の言渡をするには罪となるべき事実証拠の標目及び法令の適用を示さなければならない」と規定されてある。証拠の標目とは有罪認定の証拠であることも又明白である。然もその掲記について刑事訴訟法の求めるところが単に標目の表示にとどまる故を以ていささかの不真実不正確も許さるべき筋合のものでなく仮令前記証拠が有罪認定には余分のものであるとしてもこれによつて判決の不信を招くこと錯誤又は不実の場合と何等撰ぶところはないわけであるから軽々に之を許さるべきものではないし(東京高等裁判所昭和二十四年(を)新一〇四〇号同二十五年四月二十八日第一一刑事部判決高裁刑集第三巻第一号一四〇頁参照)この観点より更に強く証拠能力のない書証を犯罪事実の総合認定に供した以上たとえその余の証拠によつて判示事実を認定することができるとしても苟も証拠能力のない証拠を証拠として総合判断に供した以上原判決に影響を及ぼすものと認めるのが相当である(福岡高等裁判所昭和二十六年(う)第九〇号同年三月二十二日刑事第五部判決高裁刑集第四巻第三号二三三頁参照)という主張は他の判例(最高裁昭和二十六年(あ)第四六七七号同二十七年三月六日第一小法廷判決最高裁昭和二十五年(あ)第二四九〇号同二十六年七月二十六日第三小法廷判決)の立論に対抗し得る強さと高さを持ち得るものと信ずる。仍つて右は訴訟手続に法令の違反があつてその違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである。この点に於て原判決は破棄を免れない。
第二点原判決は刑の量定が著しく不当である。原判決は検察官の求刑懲役一年に対して罰金一万円に処する旨の判決を言渡した。然し乍ら惟うに被告人は、はり、きゆう、あん摩師である。而して医業は人体の疾病の治療予防に関することであるので高度の学識技能を有する医師の独占する処で其の資格は医療補助手段たるはり、きゆう、あん摩師とは格段の差があるところである。蓋しこと人命にもかかる事柄であるから斯る厳格な資格条件の制限を設けてあるので被告人は職業柄自己の責任と医療補助行為の限界とを十分知悉している筈である。然るに被告人は麻薬たる塩酸モルヒネ注射液五十アンプル、ナルコボン、スコボラミン注射液一アンプルを不法に所持していたにとどまらずストレプトマイシン、ゲエチールバルビツール酸、スルフオール、塩化カルシウム注射液、カンフアー注射液、滅菌蒸溜水等の薬品更に聴診器、血圧計、注射器等の医療器具を所持していた。
而も司法警察員作成の捜索差押調書の捜索差押の顛末及検証調書によつて見ると麻薬塩酸モルヒネ注射液二アンプル、ナルコボン、スコポラミン注射液一アンプルを診療室机抽出しの中に又診療室に接する廊下を一部開閉出来るように切りその床下に薬品類を隠匿していた。これらのことは相当広範囲に組織的に医行為をなしていたことが覗われる処である。医師でない者が医術の範医を犯すことの危険性は被告人が診療室等を持つて開業医類似の外観を持つていること併せて農村の人々が科学的知識に於て一般に遜色あることによつて益々増大される。激痛を止める麻薬の注射は素朴の農民にとつては名医の力量によるものと思われよう。一例を見るに患者渡辺圭三に対し「肺結核で空洞がある」という山形国立病院での診断の結果を聞き乍ら敢て自から診察をしこの位ならはり、きゆうで十分治せると云いこれにストレプトマイシンを施用した形跡が濃厚である。ちなみに同人は現在市立済生館病院で重症結核患者として療養中である。若干の医学的常識を有する者ならば恐らく肺結核で空洞が出来ている様な場合はり、きゆう、あん摩師によつてこれを治そうとは思わないであろう。ここに地方的特色があるので都会に於ける場合よりもその可罰性は一層強く要求せられるのである。この例は偶発的のものではなく被告人の医術の侵犯がここ迄来ているという尺度を示すものである。農民を背景としたこの種違反事件の重大性は被告人の遵法精神の欠除によつて決定的となる。被告人は麻薬、ストレプトマイシンの入手経路、所持薬品、手帳の記載内容に対する弁解等について供述定まらず或は木に竹を継ぐが如く答弁してその真意をくみ得ざるところがあり又古いとは云え大正十五年十二月十四日、昭和五年二月十八日の再度に亘るあん摩術営業取締規則違反の前歴を有する。これらは被告人の遵法精神を疑わしむるところの情状である。然るに原審が右の如き麻薬、ストレプトマイシン等の薬品、医療器具を持つて組織的に医術の範囲を犯していると認められる情況と農民を背景とした最も危険なる地域で為された犯罪であるという点を没却し軽軽に之に対し罰金一万円の判決を言渡したのは科刑軽きに失し刑の量定著しく不当であつてこの点に於ても到底破棄は免れないものと思料する次第である。
弁護人小林正一の控訴趣意
第一、医師法違反の件については事実誤認の違法がある。
原審判決理由第二に医師の免許がなく且つ法定の除外事由がないのに拘らず別紙犯罪一覧表記載の通り昭和二十六年五月頃より同年八月頃までの間前記自宅外一ケ所に於て渡辺圭三外二名に対し数回に亘り診断の上注射をなし以て医業を為しとあるけれども、
1、医師法上に所謂診断の事実はない。医師法に所謂診断とは人の身体につき疾病を診断すること即ち疾病そのものを判定することである。本件の場合被告人は医師ではないが正式に免許を受けた鍼灸按マツサージ師である。此の種の業者が自己の職業を営む上に於て人の身体を聴診、打診等をなし或は血圧計等を使用することが出来ないものかというに必らずしも之を禁止されているものではない。原審証人山形盲唖学校教師中村秀吉の証言によれば鍼灸按マツサージ師は自己の職業である鍼灸按マツサージの治療に適応する病状であるか否やを判別する為めに行はれるなれば差支なしと言はれている、被告人は医師でないから人の身体を診察して之は何々の病気であると病気そのものを診断して之に適応する医行為をしては医師法違反となること当然であるけれども被告人が渡辺圭三外二名に行なつた聴診、打診等の行為は病気そのものを判断する為めに行なつたものでなく自己の職業である鍼灸按マツサージ等の治療行為を行ふに適応する病状であるか否や即ち仮令ば患者が非常に心臓の呼動が早かつたり又は熱が高かつたりした場合は鍼灸やマツサージは止めるとか自己の職業を適正に行う上に於てその行はんとする行為が適応する状態であるか否やを判別する為めの行為であつて医師法を犯した行為とはならないのである。此の事については原審に於ける証人渡辺圭三、佐竹好美、佐竹義央、秋葉源作、被告人本人の証言並に供述は何れも被告人の利益になつているが之等の者の警察員、検察官に対する供述は何れも被告人の不利益になつている。そこで何れを信用すべきかというに警察員や検察官が取調に際し右に述べたような被告人の弁解が納得出来たかどうか、斯る理論的弁明は取調べる者の理解如何によつて左右されるものであつて警察員や検察官が被告人を医師法違反として検挙せんとしている矢先被告人の右の如き弁解は被告人が無理にへ理屈を言うものとのみ推断して聞き入れようとしないのが普通である。被告人は警察員や検察官に右弁解をしたのであつたが之は通らなかつたのである。普通世人の考え方として按摩さんが聴診器を聞いて聴診するなどといえば之はてつきり医師の真似をするんだと思うのと同様の考え方であろうと思はれる、然し今日の進歩した鍼灸按マツサージ師の業界から見れば前記目的の為の聴診、打診を行い又は血圧計や体温計等を用いることも敢て不審とするに足らないのである、よろしく公判中心主義に則り公判に於ける証人の証言及被告本人の供述を充分採用して真相を判断すべきである。
2、注射はしたが前記聴診、打診等と関連がない。被告人が渡辺圭三外二名にビタミンB注射液を注射したことは事実であるけれども此のことたるや被告人が前記の如く渡辺圭三外二名を聴診、打診等を為して同人等の疾病を治療する手段として施したものでない、被告人は飽迄自己の職業である鍼灸按マツサージの治療方法を守り其の範囲を越えない。又彼等患者も被告人が医師でない、鍼灸按マツサージ師であることを承知し鍼灸等による治療を依頼したのであるし被告人も亦之に応じて鍼灸による治療を施したのである、唯渡辺圭三、佐竹義央の両人については同人等がたまたま所持していたビタミン注射液を持参して栄養を採る為め之を注射して呉れとの依頼を受けたので患者とはいえ平素親友の間柄でもあるので自己の治療行為とは何等関係なく彼等の依頼を受けた丈けの個数を単に注射してやつたというに過ぎないのである、又秋葉源作に対する注射も被告人が鍼灸による治療を施したる後被告人の何等意図しない注射方を同人より無理に依頼され止むなく一回丈けビタミン注射液(自家用)を注射してやつたに過ぎないのである。
以上の次第で被告人が渡辺圭三外二名を診断の上注射したという事実はない、被告人の行なつた聴診、打診等は医師のやる所謂診断ではなく又注射は診断の結果その疾病に対する治療方法としてやつたものではない、当今はビタミン剤の如きは素人も自分自身で注射することなど普通行はれている世情である、渡辺圭三外二名も自分でやる代りに被告人に依頼してやつたという状態である。(証人渡辺圭三、佐竹義央、佐竹好美、秋葉源作の原審に於ける証言及被告人本人の供述参照)
3、注射は医業を目的としてやつたものでない。医師法第十七条に所謂医業とは疾病を診察治療する医行為を常業とする目的でやることである、常業の目的という観念を構成するにはその行為に持続性と普遍性がなければならない、注射は一種の医行為であるが本件の場合その行為に持続性、普遍性があるか否やを考うるに渡辺圭三外二名にビタミンB注射液を注射したことは事実であるがそれは自己の営業とする鍼灸按マツサージ等の治療行為と何等関係なく彼等の特別な依頼に基き彼等の持参した個数の注射液を単に注射してやつたに過ぎないのでその行為に持続性と普遍性が伴はない、従つて常業とする目的観念がないことが推認される、常業の目的でやつたか否かの判断は単にそれのみではなく左記諸事情を綜合考察して判断すべきであると考える。イ、注射の事情、ロ、一般患者に対する被告人の取扱振り及び営業場設備の状況、ハ、連続反覆の状況、ニ、料金授受の有無被告人が渡辺圭三外二名に注射した事情は前述の通である、一般患者に対する被告人の取扱振り及び営業場設備の状況は原審に於ける検証調書及び証人亀井績、後藤権四郎、佐藤能雄の証言を綜合考察すれば推認されるのである、被告人の営業場は患者控室と診療室とは相隣接し控室より診療の状況が直視し得る状態にある、被告人は永年鍼灸按マツサージ師として多数の患者を取扱つたのであるが注射をやつたのは前記三名である、若し被告人が常業として行うものとすれば他にも多数同様の取扱を受けたものがある筈であるし又患者控室から之を見ることが出来るのであるから他の患者により忽ち世評にのぶる筈であるが斯ることが今回迄なかつた処から見ると被告人は常業の目的で斯る行為をしたものでないことが推認されるのである。唯今回被告人が本件の如き嫌疑を受けたのは本件検挙に際し被告人家を捜査した処聴診器、血圧計、注射器、体温計、灌腸器其の他種々の薬品があつたので如何にも医師としての諸道具を設備しているものの如く認められたのが重大な原因を為したものと思はれる、然し実地検証して見ると営業場の構え方が医師にまぎらわしい処が見受けられない、聴診器、血圧計、注射器、体温計、灌腸器等の置いてある場所は営業として常用すべく設備の下に置かれていない。あちらの箱こちらの引出にという様に乱雑に仕舞置かれ其の状況恰も普通人の住宅に於ける状態と異ならない又薬品の仕舞場所も同様で少しも医師にまぎらわしい処が見受けられない。殊に又渡辺圭三外二名よりは料金を受取つていないし又連続反覆の点から見ても前に述べた通り持続性、普遍性がなく其の時限りの特権の行為であつて常業の目的がないものと見るのが至当である。
第二、麻薬取締法違反の件については刑の量定が重きに失する。
原審判決は医師法違反の事実及麻薬取締法違反の事実を認定して罰金壱万円の判決を言渡したが前述の通り医師法違反の件は事実誤認であるから幸いに此の点無罪の判決があれば麻薬取締法違反の件のみを以て罰金壱万円に処せられることは刑の量定が失当であると思考する、麻薬所持の点は被告人の争はない処であるから唯左記情状を酌量して頂きたい次第である。1、所持の動機 被告人は幼少より病弱で目が悪い外に腎臓結石病及胆石病等にかかり東村山郡長崎町大字長崎で開業していた医師斎藤斎の治療を受けて居つた(大正十五年頃から昭和十五、六年頃迄)此病気は時々発作的に激痛を訴えるもので其の度毎に注射によつて鎮静するの外ないのであつた、昭和十三、四年頃当時麻薬である右注射薬を入手すること困難の状勢があつたので斎藤医師の勧めによつて本件麻薬を手に入れ被告人自身の持病に対する万一の場合に備えたもので他意ないものである。2、被告人の病状と麻薬所持の状況 被告人の病状は昭和十五、六年頃から病勢が減退し茲五、六年間は医師の治療を受ける必要もなく(勿論中毒にはかかつていない)従つて麻薬注射の必要もないので該薬品は居宅二階の本箱の引出の中に仕舞つていたもので此の薬を他人に施用したこともなければ又他に売買譲渡したこともない。全く五、六年間前記の場所に廃品同様に仕舞つていたもので麻薬を所持したとは云ふものの所持の目的に甚だしく遠ざかつて危険性が薄くなつていたものである。3、其の他被告人の性行、改悛の情、家庭の事情、将来の指導監督等については原審に於ける弁護人の弁論要旨と同様でありますから参照して頂きたい。